令和5年、2023年、新年のご挨拶

令和5年1月1日
在トンガ大使館館員一同
 皆様、明けましておめでとうございます。早いもので、令和2年に赴任してからトンガでの3度目の新年となります。
 昨年のご挨拶では、関心事項は専らコロナによるトンガの厳しい国境規制でした。当時、トンガは未だにコロナフリーの国であり、そのことは大変結構ながらそれを維持するため殆ど入国不能と言ってよいほどの国境規制が課されており、一般の方はもちろん我々外交官でもなかなか入国が叶わない状態でした。
 
 昨年1月15日のフンガトンガ・フンガハアパイ海底火山の大噴火で、トンガでの我々の暮らしは大きく変わりました。
 国中を覆いつくした火山灰や津波の被害の上に、海底ケーブル断裂による情報通信システムのシャットダウンが加わり、先の見えない、途方に暮れるような危機に直面しました。
 その時、わが日本を始めとして世界各国から寄せられた暖かい、迅速かつ的確なご支援は、災害直後にもご挨拶させていただいた通り、火山の噴煙が晴れるや否や降りそそぐ明るい光のようでありました。
 1月22日、晴れ渡ったトンガの青空から、わが国航空自衛隊のC-130の雄姿が現れた時のことはつい昨日のように思い出されます。年甲斐もなく感涙に噎びそうになったものです。
 その日は、災害直後の緊急会合の合間を縫って、首相、副首相、外務大臣を始めとして多くの閣僚、国会議員、政府高官が、この史上初の自衛隊トンガ来訪を出迎え、皆日の丸の小旗を振って歓迎してくれました。当時の非常事態を考えれば、かくも多くのVIPが空港に参集してくれたのはまさに望外のことでしたが、それもトンガ国内に深く根付いた親日感情のお陰と思っています。
 
 皆様ご存じのように、この災害だけでは終わりませんでした。2月1日、それまで2年以上感染者ゼロだったトンガに、ついに新型コロナがやってきたのです。
 当初のロックダウンは、水食糧等の必需品さえ買えないという、信じられない厳しさ。コロナ感染はあっという間に広がり、トンガの医療水準を思えば誰しも厳しい見通しを持たざるを得ない状況でした。
しかし実際には、コロナ侵入そしてそれに続く過酷なロックダウンを大底として、事態は大きく変わっていったのです。
 
 何より大きかったのは、コロナ感染拡大にもかかわらず死者数が極めて少なかったこと。昨年8月、感染者数・死者数等の最後の公表時点で、全国の死者数は12名、人口約10万の国とは言え、これら死亡事例の大半が他疾患もある高齢者でした。トンガは2年以上に亘るコロナフリーの期間を決して無駄にすることなく、ワクチン接種を進め、昨年2月の時点では高齢者のほとんどがワクチン完全接種(2回以上)、また人口の70%以上がワクチン接種を少なくとも1回は終えている状態でした。疫学的検証を待つ必要はありますが、個人的には、いわゆる集団免疫が獲得されていたものと考えています。またこの点、わが日本からのワクチン供与が大きく貢献できたことを,大使として大変誇らしく思っています。
 
 コロナの侵入で大きく変わったのは、それまで巌のように固かったトンガの国境規制が、これを契機に急速に緩和され始めたことでした。
 NZ、フィジー、豪州といった周辺国がWith Coronaの方針に切り替えたことも大きな要因でしたが、3月にはそれまでの大きなボトルネックであったNZでの2週間の公的検疫隔離が不要となり、トンガでの隔離も3週間から順次縮小され、自宅隔離も認められるようになりました。
 そしてコロナ侵入から半年後の昨年8月には、2年以上に亘って閉ざされていたトンガの国境が開かれ、更に9月27日には感染対策レベルが青信号(Green light)となり、日常生活に殆ど何の制約もない、かつてのコロナ前の暮らしが戻ってきたのです。我が国を含め、他国の経緯に鑑みれば、驚くべき改善スピードと思われます。
 
 こうした背景のもとで、わが国の援助事業関係者の入国も4月から可能となり、長く仕掛りとなっていた一般無償事業、全国早期警報システム(NEWS)プロジェクトも9月に完成に至りました。このNEWSプロジェクトを巡る経緯には、昨年の災害との関連で語りつくせないほどの物語がありますが、余りに長くなりますのでここでは割愛いたします。
 
 恐らくトンガにとっても歴史的な1年であった令和4年の回顧をすればきりがありません。噴火・津波、そしてコロナという三つの災難に見舞われたトンガでしたが、各国の支援も得て復旧が進み、またコロナに関してはわが国を中心としたドナーからのワクチン供与が功を奏しました。わが日本からの迅速な暖かいご支援そしてワクチン供与につきましては、トンガ政府、トンガ国民から数多くの感謝の声が寄せられており、私からも改めて厚く御礼申し上げたいと存じます。有難うございました。
 
 こうした昨年の出来事を現地で経験した者として、一つ言わせていただければ、噴火の火山灰で国中が真っ黒になり、津波で海岸沿いは岩や転覆したボートで覆われ、特にビーチリゾートは壊滅状態となってしまった、その時でも、トンガに暗さはありませんでした。人々は今生きていることを喜び、皆で支え合い、相変わらず冗談を言い合い、笑いながら火山灰や瓦礫を片付けていました。日本にあってトンガにないもの、それはそれこそ星の数ほどあります。ですが、国民の平均年齢22歳のトンガには、我々が驚くほどの逞しさ、強靭さが、確かにあります。
 今回に限らず、トンガでは災害からの復旧、復興は、どうしても海外からの人や資材が無ければ進まず、長く続いた国境規制や世界経済情勢の悪化もあって必ずしも順風満帆とは言えませんが、トンガ人は噴火・津波に打ち勝ち、更にはコロナにも打ち勝って、以前と同じ生活を取り戻しつつあると言えるでしょう。
 
 これまでの日本の皆様からのご支援に対し重ねて御礼申し上げ、また本年が日本、トンガ両国にとってより良い一年となることを心から祈念し、令和5年、新年のご挨拶とさせていただきます。

トンガ王国駐箚特命全権大使
宗永健作